ハワイの沖縄県系人の歴史
1853年、カウアイ島でサトウキビ・プランテーションが開発
- さまざまな地域からの移民→耕地での過酷な労働
- 沖縄からは、1900 年に初めてハワイへ…日本(内地)出身者からの差別
1910年代末~30年代初頭
- 模合で起業資金を蓄積、経営ノウハウを教え合う→「ソテツ地獄」沖縄への送金
- 養豚業の主力が、日本出身者から沖縄出身者へ プランテーション・ピラミッド
- 差別克服に向けた二世の教育→奨学金制度や社会教育の施設・道具
- 「琉球盆踊」の名の下でエイサーが踊られるように
1930年代、エイサーが、地位を確立
- 「琉球盆踊(エイサー)」が、競演会で「岩国音頭」「福島踊り」などに差をつけ優勝、地位を確立
- 「未開な」ものとされていた沖縄芸能を「人に見せる」エイサーへ
- 西洋楽器(バイオリンやスチール・ギター)をとりいれたエイサーへ
1947 年「沖縄救済厚生会」
1951 年「沖縄人連合会」
- 衣類や食料、医薬品、5 万ドルの浄財、種豚や搾乳用のヤギを沖縄へ
- 琉球大学の建設に向けた募金を始める
1971年、ハワイ沖縄文化祭(現・オキナワン・フェスティバル)開催
1982年、オキナワン・フェスティバルの名称となる
1990年、ハワイ沖縄センター開設
- 1987年に建設委員会発足…フェスティバルで活躍した三世
- 総工費約900 万ドル(約10 億円)…沖縄でも募金集め(2 億円以上)
- 敷地総面積3000 坪
1993 年系図研究会(OGSHOGSH)結成
- 移民渡航記録データベース完成
2017年 ALOHAAWAMORIスタート
- 首里出身の県系人3世ランディ・クバが、故郷沖縄を想いハワイで泡盛メーカーを設立
2019年 ALOHAAWAMORI
- 沖縄とハワイに縁のある尾関紀篤が、日本沖縄に紹介
沖縄から1900 年に初めてハワイへ
豚の寄贈を感謝『 Hawaii Times 』 1948 年12 月3日
沖縄全縣民が心から豚の寄贈を感謝」『 Hawaii Times 』 1948年12月3日付